そういえば、昨年ももう終わろうとしていたころ、心惹かれる男性と出会ってしまった。
いや、出会ってしまったという言い方は適切ではない。彼の存在は10年ほど前から知ってはいたのだから。
だから、彼の良さに気づいてしまった、という言い方の方が正しいか。
けれど、そんな彼にはすでに想う人がいて、彼のその想いには、到底私など入り込む隙はないのだ。私は彼に想われる彼女になりたかった…
彼の名は 在原業平といったーー
ということで、今回は在原業平、そして伊勢物語に触れた話を書こうと思います!
目次
『100分de名著』との出会い
Eテレで放送している『100分de名著』という番組をご存知だろうか?
これは名著と呼ばれる本を毎月1回25分×4、計100分で読み解いていくという番組である。毎回の司会をアナウンサーさんと伊集院光さんが担当しており、名著ごとにゲストが登場し、その本について解説をしてくれるという私のような本好きには堪らない番組だ。
さらに、毎回本の一部を朗読してくれるのだが、その朗読者も豪華なのも魅力の一部なのである!
そんな番組の名前は知っていたのだが、昨年末にやっときちんと見るとものすごく面白く、見事にはまってしまったというわけである。
そんな感じで『伊勢物語』の話に移るのだが、これは11月の名著として取り上げられていた。
伊勢物語についての私の知識は、高校の古文の授業で習った断片的な記憶―歌物語、『かきつばた』、鬼に食われた、主人公の「男」は在原業平と言われている―といったぐらいである。
最近古典にはまっていたこともあり、100分de名著で伊勢物語を取り上げると聞くと興味を持って見てみたのが始まりだった。
業平は『源氏物語』の光源氏のモデルと言われる男である。多くの現代人がそうだと思うが、私も光源氏があまり好きではない。そいつのモデルになるくらいだし、こいつも色好みのモテ男だろうと私は業平の事を考えていた…あの番組を見るまでは…
今は彼の事をそんな風に思っていないことは冒頭の独り語りでもお察しだろうが、在原業平はすげえやつだったのだ(語彙力)
業平について
ここから彼について語っていく。私が感じた彼の素敵さを記録しとこうと思う。
悔しいが、業平の素敵なところは一人の女性とのエピソード抜きには語れない。むしろ彼の彼女への想いこそ私が「業平素敵…♡」「相手の女の人になりたい…♡」と思った部分であるのだから。
彼女の名は藤原高子(たかいこ)。つまり藤原氏の血筋の女性である。この時代の藤原氏というのは摂関政治で絶大な権力を握っていた時なので、高子はもちろん政略結婚をせざるをえない状況にある。
業平は彼女と恋人関係にあったが、高子が入内し、天皇に嫁ぐことになってしまう。
そこで業平と高子は駆け落ちを画策する。これがあの有名な(?)鬼に食べられるエピソードである!
高子を外に連れ出す業平。箱入りのお姫様である高子は、見慣れない外の景色を不思議そうな目で眺める。そして草に落ちた露を見て「あれはなに?」と恋人に聞くのだ。
かわいいではないか!!!とんでもなくかわいい。
…興奮してしまったが、その後の顛末は、小屋に隠れていたお姫様が男が気づかないうちに消えている、鬼に食べられてしまった―と男が失意の中歌を詠む。
白玉か 何ぞと人の 問ひしとき
露と答へて 消えなましものを
有名なやつである。もちろん鬼に食べられたというのはフィクションで実際には彼女の兄(もちろん藤原氏)が取り返しに来て、駆け落ちは失敗してしまう。
その後高子は男児を産み、その子供が天皇になったことから彼女は「国母」となり、業平とは決定的に身分が違うひとになってしまうのだ…
ちなみに、これは私だけの萌えポイントかもしれないが、業平と高子は17歳差である。
調べてみると、このエピソードの時には業平36歳、高子19歳と考えられるらしい。
高子が年上の男性である業平を慕うのは全然理解できる(人生経験値という意味で)し、当時の感覚だとその年齢差は稀ではない。業平は世間知らずのお姫様にとって外の世界に連れ出してくれた、頼りになる年上の男、愛しい男である。
私得でしかないカップルである
深窓の令嬢だった高子が駆け落ちを考えるくらいの相手。業平にとっても、天皇の妃となる相手を攫おうとしたのだ。並大抵の覚悟ではないし、きっとそれだけお互いの愛も深かったに違いない。そんなひとともう一生恋人関係にはなれない身分となってしまうふたり。
ロミジュリやんけ…悲恋やんけ…
おそらくここで終わっていたら私はそこまで業平のことを考えなかっただろうし、彼のことを好きにはならなかった。
在原業平という男の魅力が一番溢れていると私が思うエピソードが、かの有名な「ちはやぶる…」の歌なのである。
次はそこを語りたい。
「ちはやぶる…」の真相
「真相」というもったいぶったタイトルをつけてしまったが、私にとってはまさにあの歌の真相を知った気分だったのでこのままにする。
ちはやぶる 神代もきかず 龍田川
からくれなゐに 水くくるとは
現代語訳
様々な不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、
こんなことは聞いたことがない。
龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に
水をしぼり染めにしているとは
これは百人一首に載っている有名な和歌なので、もちろん聞いたことはあった。
現代語訳にあるように、自然の美しさを詠った歌なのだと。そう思っていた。
100分de名著では、解説者(ゲスト)の髙樹のぶ子氏がその歌が詠まれた背景を解説していた。
曰く、晩年の業平が高子の和歌のサロンに招かれ、その時に屏風に描かれていた龍田川を見て、この和歌を詠んだのだと。
業平と高子は、駆け落ちに失敗し、もう恋人同士になることは決してできない身分だったが、その後も彼らの交流は続いていたようだ。
高子は天皇を産み国母となったが、その天皇が早くに廃されてしまったこともあり、その後は孤独な日々を過ごしてきたようだ。そんな高子を業平は家臣として支え続けたと髙樹氏は言う。
高子と業平の駆け落ち未遂事件は醜聞として宮廷中が知っていただろうし、その後業平が宮廷に行く際は肩身の狭い思いをしてきただろうと思う。普通の男だったらそのような思いをさせた相手の女に恨み言をこぼすかもしれない。
しかし、業平はそんなことはしなかった。
「ちはやぶる…」の歌が詠まれたのは高子主催のサロンなので、彼が和歌を送る相手は高子ということになる。
彼女に向って詠む和歌はただ自然の美しさを詠んだだけではない。
その歌には自然の美しさと高子への想いー貴女との昔のことはとても美しい思い出だったと、後悔していないと。そして、貴女はずっと美しいと。
そんな想いも和歌で業平から高子へ送られたのだと。
番組ではその後野村萬斎さんによる和歌の朗読が始まった。
その朗読を聞いていると、言葉を聞くと、思わず私の目から涙がこぼれていた。
たぶんそのサロンで業平の和歌を聞いた高子以外の人はその和歌の技巧だったり見事さを称えていただけだと思う。けれど、高子だけはそこから業平の想いを読み取ることができ、きっと胸を打たれただろう。不遇な境遇となってしまい、孤独な彼女を「美しい」と肯定し寄り添ってくれた業平の気持ちを感じるだろう。
私が高子だったら泣いてる。業平は自分との思い出を「辛かった過去」で終わらせないでいてくれているのだから。
朗読を聞いた瞬間、きっと私は高子になっていたのだ
日本語について考えたこと
そろそろ今回のブログを終わらせようと思うのだけど、どう終わらせようか、果たして。
業平の和歌を聞いて、現代語訳を聞いて、改めて感じるのは日本語の不自由さだ。う~ん、かえって自由さだろうか。
業平の和歌は、背景なんて何も知らない人が聞いたらただ「書いてある言葉」通りに受け取って終わる。
だけど、知っている人が聞くと、その言葉に隠された(もしくは表された)想いを受け取ることができるだろう。
昔の人はたった31音で想いを伝えようとしていたのだ。さらに技巧も凝らしながら!
改めて日本語って難しいよなって思ったり、美しいなって思ったり。
今回初めて和歌を聞いて涙してしまうという体験をしたけれども、そういう風に千年隔たっていても人の情感を揺さぶられる言葉を紡ぎだせる業平は本当にすごい人だと思う。
さらに、彼のすごいところは、和歌の名手でありながら、人一倍情感豊かなひとなので、彼が詠んだ和歌にはたまに溢れる想いが先行しすぎてぎこちなく、そんなに秀でてない和歌もあるらしい。
でも、普段あれだけ優れた和歌が詠める人が、私に会いたくてたまらなくて後朝の歌も「また会いたい」って思いのみが溢れるようなものだったらきゅんきゅんしちゃわない???*1私はする
そういう足し引きが絶妙にうまいので「良い男」だと思うのだ。
ということで目下の目標は業平のようなひとと恋に落ちたいということで今回は終わる。