あなたを愛し、わたしを愛する~日々の備忘録~

ロリショタを慈しみながら日々のことも徒然に書いてこうと思います。

人生を振り返って「泣く」ことを考えた話

 

昨日、ラブライブ!サンシャイン!!の劇場版である

ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow

を見ました!本当は映画館まで観に行こうと思ってたんだけど、予定が合わなくて行けなかった映画で、ようやく観ることができた~!

 

 

 

そしたら、開始数分で私の中で気持ちがすごくざわついてしまって、何ともないシーンでも結構気持ちが溢れそうになっていて、とあるシーンで涙が止まらなくなってあとはずっと泣いてた…

自分でもびっくりするくらい嗚咽しながら泣いちゃったので、まじで映画館で観なくて良かったと思う(笑)

 

 

ブログを始めてから、アニメの感想とかちょこちょこ書いてきて、その中でもアニメを見て泣いた、みたいなことをよく書いてたと自分でも思うんだけど、最近本当に涙腺が緩くてよく泣きます。

 

昨日みたいに映画・アニメを観て泣いたり、本を読んで泣いたり、音楽を聴いて泣いたり、悲しい・悔しいことがあって泣いたり…とここ数年間本当によく泣いてたなって。

ただ、頻繁に泣くようになった(涙腺がゆるくなった?)のは最近で前はそうじゃなかったかなって思い返したので、本当にただの私の記録、日記になるけど書いておこうと思う。

 

小さい頃本当に泣き虫で、めちゃくちゃ泣く子だった。めっちゃ悲しくて泣いた、っていうのももちろんあったけど、自分の感情表現として「泣く」ということをしてた記憶がある。私の気持ちを分かってほしくて、でも言葉で伝えるんじゃなくて泣くという行為で伝えようとしてた。

 

泣いたって気持ちをしゃべらないんだから相手が分かってくれるはずもなく。自分でもそれに気付いていたけれどただ泣いてたという感じだったと思う。

 

成長していって、中学生の頃だったかな?あんまり泣かなくなった(気がする)。

成長したという理由だけではなく、「泣く」ことに対してみっともない、恥ずかしいことだと思い始めたからだった。それに泣くことは弱いことだと思っていた。泣きたくなっても人前だと抑えようとしていた。

 

今思えば、思春期で、かっこつけようとしていたのだあの頃は(笑)。

「泣く」だけじゃなくて全力ではしゃいだりするのもかっこ悪いと思ってそんなことを「ダサい」と冷めた目でみるやつだった。恥ずかしい黒歴史だ。

具体的なエピソードがある。私の中学は中高一貫校だったので文化祭を中高一緒に開催していた。文化祭の開会式でテンション高く盛り上げようとする先生たちがいた。一緒に出ていた隣の高校生たちも異様に盛り上がっていた。馬鹿みたいに騒いで、楽しくてたまらないって感じだった。

理解できなかった中学生の私がいて、多分周りの同級生たちもやたらテンションの高い高校生にビビっていた。あの温度差は今も覚えている(笑)

 

あほみたいにバカ騒ぎすることを是と思えなかった中学生の私は、同様に自分の感情をさらけ出す「泣く」と言う行為に対しても良いものだとは思えなかったのだろう。

 

高校生になった。

文化祭、めっっっちゃくちゃ楽しんでいた。まさしく即堕ち2コマだった。

高校生になってから気づいた。あの時、高校生たちがテンション高らかに騒いでいたこと。

勿論彼らはたかが文化祭でそんなに騒ぐことないとも心のどこかでは感じていたはずだ。ただ、心にある「楽しい・楽しみたい」という思いにすごく正直で、それを素直に放熱することを楽しんでいた。冷めた目でみるより騒いだ方が絶対楽しいことを知っていたからだ。

中学生の私が「こんなことに騒いで馬鹿みたい」と思っていたような気持ちをひっくるめて、彼らはより楽しむ方に重きを置いて全力で楽しんでいたんだって気づいた。

 

だから、高校生の私は、騒いだ。楽しかった。隣の中学生は「何がそんなに楽しんだろ?」って顔で私たち高校生を見ていた。成長したんだなって思った。

 

「全力でバカをやる」楽しさに気付いた高校生の時、多分「泣く」ことに関しても私の感性は変化していて、「泣いたっていっか」と思えるようになっていた。素直に感情を露にすることに対して抵抗感が減っていったのだと思う。

 

それから大学時代を経て、現在に至るのだけど、私の本質は泣き虫だから相変わらずよく泣いてしまう。今は泣いたらスッキリするので寧ろ積極的に涙を流したいとも思っている(笑)

 

辻村深月の「ぼくのメジャースプーン(2006)」という作品で登場人物の女の子が語り手にこんな話をするシーンがあった。

曰く、人は誰かの為には泣くことができない。もし、誰かのことで泣いているとしたら、その誰かのことを考えた自分がかわいそうで泣いているだけなんだと。

 

グサッとくる言葉だけど、今、多分違う意味ですごく分かる。私が最近涙をながすのは全部それを見て・聞いて私自身と照らし合わせているからなのだ。

作品の技巧によって胸に迫る思いをさせられる。そしてそんなモノに触れた時、自分自身のことを思い返す。それで涙がでてくる。

 

「メジャースプーン」を読んだとき、「他人の為に泣くことができない」ということに浅ましさを感じてしまったけれど、最近はそりゃそうだよなと割り切って考えている。

 

でも、そうやっていろんな媒体にふれて、涙をながすことが増えてきたということは、確かに私自身が成長しているからなんだと今考えている。

様々な経験をしたからこそ、描かれているものにリンクすることが多くなるし、それが沁み入るようになる。

事実、最近観た映画でなんともない描写に感動して泣いてしまうことがあったけど、それは中学生や高校生の私が観てもなんにも感じなかっただろう。

今の私だからこそ沁み入るものがあったと考えると、自分の人生って確かに成長しているなと思うのだ。

 

 

これからもそんな心を揺さぶられる作品に沢山出会えたらいいな!

おわり